2005年08月08日

おひさしぶりです

とてもとても久し振りに「独り言」を書いている。最近は、メールで手軽に「お元気?」が送れる。

これが手紙だったら、万年筆とかボールペンを使って、相手の表情を思い浮かべながら言葉を吟味しつつ文字を列ねる。間違えようものなら最初から書き直すことも多々あるだろう。しかも、せっかく書いた文章が真夜中のロマンティックアワーに影響されていたなら、翌朝見たとき「アブねー!これ、出せませんがな。」と、ゴミ箱に放り投げられることもあるだろう。手軽さの代償に「待つ」時間の楽しみや、積み重ねた時間によってしか作ることのできない物事の深みを、どこかに忘れてきたようだ。「万物が一度として止まることなく流れているのは自然の摂理だから仕方のないことだ」という声に抗って下ジーンは、「そいつは、賢者の言葉の悪用だ」憤りつつ、自分の胸にそっと手を当て訊ねている。「自分はどうなんだ?」と。

昼飯時に、太陽がギラギラ照りつける街中を歩いていると、一輪の花が道路に落ちていた。紅い美しい花だった。この暑さなら、15分でカラカラになるだろう、と思った。そして、陽炎の立つアスファルトに横たわる真紅の花は「お前らのために咲いたんじゃねえよ」と言っているようだった。生きとし生けるものは、表現者だと思うが「種の保存」のためだけにあれほどの色が存在しているわけじゃなかろう。だとしたら、何のために花が花として表現しているのだ?翻って、人間は何故芸術とよばられるカテゴリーを設けているのか?名付けたり、分類したりしてようやく立体的に判断できる人間は、もしかしたら他の動植物に笑われてはいないだろうか?宇宙から地球を見なくても、地球のことは人間以外の生物の方がよく知っているのではないだろうか?先述したが、手軽さの代償に自然のメッセージを聞き取りにくくなったと下ジーンはいいたいのだ。

ここまで一気に書いて読み直してみると、「あー、落としどころが遠のいた」という結論に達したので、話を巻くと、過ぎ去った2月18日、19日、 20日に沖縄映像祭を開いた僕たち私たちは、懲りることなく第2回目を2006年の9月頃をめどに、準備に取り掛かろうというわけだ。で、近々、その概要と作品募集要項が、ホームページ上で掲載される。それまでは、このような「限りなく落としどころのないブルー」に付き合って下さい。もちろん、強要は致しません。全部読まなくてもいい。ただ、寂しいだけなので。



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