2006年09月30日
イベントプログラム その2
さて、映像とアートの実験の場を試みるOMPFは今年も
舞台と映像のコラボに取り組みます。
今回も前回に引き続き県内で活躍されてます劇団O.Z.Eのみなさんへ依頼。
http://www.ii-okinawa.ne.jp/people/tenten/oze.index.htm
現在脚本から練り上げるというOMPFオリジナルの舞台を制作中です。
今回は一体どのような形で舞台と映像が混ざりあい、影響し合うのか、、、
最終日26日公演を予定しています。
こちらもこうご期待!
スタッフOT
舞台と映像のコラボに取り組みます。
今回も前回に引き続き県内で活躍されてます劇団O.Z.Eのみなさんへ依頼。
http://www.ii-okinawa.ne.jp/people/tenten/oze.index.htm
現在脚本から練り上げるというOMPFオリジナルの舞台を制作中です。
今回は一体どのような形で舞台と映像が混ざりあい、影響し合うのか、、、
最終日26日公演を予定しています。
こちらもこうご期待!
スタッフOT
2006年09月29日
ブログ移行
もっと多くの方々に読んでもらいたい!
そういう訳で、OMPFスタッフダイアリーを
てぃーださんのブログへと移行させていただきました。
徐々にではありますが、過去の記事も移し替えてます。
これからもOMPFサイト同様、スタッフダイアリーも
よろしくお願いします。
そういう訳で、OMPFスタッフダイアリーを
てぃーださんのブログへと移行させていただきました。
徐々にではありますが、過去の記事も移し替えてます。
これからもOMPFサイト同様、スタッフダイアリーも
よろしくお願いします。
2006年09月21日
秋らしいのね
最近涼しくなってきた。僕は、境界線に立っていて、その境界線をいつも愛しいと思っている。境界線というのは、夜と朝の間に落ちた水性絵の具をパレットで溶かしたような淡い藍色だったり、昼と夜の間に滲む茜色の切ない別れだったりする。
冬から春に移り変わる時の短い日溜りや、夏から秋に変わる時の、少し長く伸びた影に毎度飽きもせず心を動かされては、絶え間ない地球の鼓動に不釣合いな笑顔を浮かべる。
ああ、27度目の秋だ、と。だからほら、文体が何時にも増してロマンチック。
時間の許す限り、いつもお世話になっているカフェ「ニーチェ」で、シナモントーストとホットコーシーを未熟な唇に付けて「うーん、贅沢な一杯じゃ」と頷きながら舌鼓を打つ。何だかんだ言って、コーシーの道連れに読んだ本は、15冊。向田邦子の『父の詫び状』、阿刀田高の『ギリシア神話を知っていますか』、群ようこの『無印OL物語』、村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』、外間守善の『沖縄の言葉と歴史』、ノーム・チョムスキーの『メディア・コントロール』、よしもとばななの『キッチン』『NP』『不倫と南米』『日々のこと』、パウロ・コエーリョ『ベロニカは死ぬことにした』
等等ドナドナ。僭越ながら、敬称略したことをこの場を借りて謝罪します。ごめんなさい。
読み物でも新聞以外の映像のニュースは片目で観ている。(正直、新聞も仕方なく読んでる)だって、得るのないもの。恐怖心を煽る報道は百害あって一利なし。いや、一利あるのは一部の方々。だから、観ない。その代わり、本を読むよ。そっちの方がよっぽど豊かな気持ちになる。
あ、そうそう、話題はこちら。今日の沖縄は、台風一過、すっきりと青空が広がっていたから、OMPFメンバーで秋刀魚大会を開いた、というお話。秋刀魚っていかにも、“秋”って感じがするし、今が旬だし。
備長炭でこんがり焼いた北陸産のジューシーな秋刀魚に加え、エノキのバター醤油焼き、ホタテ、蛸、イカ、チンゲンサイ、オクラ、鳥肉といった豪華食材を炊き立てのご飯に乗せて平らげた。祭りの出店のような香りに包まれて、乾杯。いつもいつも会議ばっかりで、全然飲みに行けないOMPFメンバーへのせめてもの感謝の意を表しての会だった。
すごいなあ、と思ったのはイベント経験豊かなメンバーのYや、映画の制作スタッフを何度も経験している初老のCOは、非常に手際よく野外にライトをセッテイングしたり、テーブルや椅子を並べたり、ゴミを捨てるビニール袋を的確に配置したりしていた。あとは、お上の女性陣に食べていただくわけだが、「はんぺん最高」といきなり右ボディーを食らった以外は大変満足していただけたと信じております。
さてさて、ぼちぼち映像祭の足音が聞こえてきますよ。
耳栓しないでついてきておくれ。
下ジーン
冬から春に移り変わる時の短い日溜りや、夏から秋に変わる時の、少し長く伸びた影に毎度飽きもせず心を動かされては、絶え間ない地球の鼓動に不釣合いな笑顔を浮かべる。
ああ、27度目の秋だ、と。だからほら、文体が何時にも増してロマンチック。
時間の許す限り、いつもお世話になっているカフェ「ニーチェ」で、シナモントーストとホットコーシーを未熟な唇に付けて「うーん、贅沢な一杯じゃ」と頷きながら舌鼓を打つ。何だかんだ言って、コーシーの道連れに読んだ本は、15冊。向田邦子の『父の詫び状』、阿刀田高の『ギリシア神話を知っていますか』、群ようこの『無印OL物語』、村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』、外間守善の『沖縄の言葉と歴史』、ノーム・チョムスキーの『メディア・コントロール』、よしもとばななの『キッチン』『NP』『不倫と南米』『日々のこと』、パウロ・コエーリョ『ベロニカは死ぬことにした』
等等ドナドナ。僭越ながら、敬称略したことをこの場を借りて謝罪します。ごめんなさい。
読み物でも新聞以外の映像のニュースは片目で観ている。(正直、新聞も仕方なく読んでる)だって、得るのないもの。恐怖心を煽る報道は百害あって一利なし。いや、一利あるのは一部の方々。だから、観ない。その代わり、本を読むよ。そっちの方がよっぽど豊かな気持ちになる。
あ、そうそう、話題はこちら。今日の沖縄は、台風一過、すっきりと青空が広がっていたから、OMPFメンバーで秋刀魚大会を開いた、というお話。秋刀魚っていかにも、“秋”って感じがするし、今が旬だし。
備長炭でこんがり焼いた北陸産のジューシーな秋刀魚に加え、エノキのバター醤油焼き、ホタテ、蛸、イカ、チンゲンサイ、オクラ、鳥肉といった豪華食材を炊き立てのご飯に乗せて平らげた。祭りの出店のような香りに包まれて、乾杯。いつもいつも会議ばっかりで、全然飲みに行けないOMPFメンバーへのせめてもの感謝の意を表しての会だった。
すごいなあ、と思ったのはイベント経験豊かなメンバーのYや、映画の制作スタッフを何度も経験している初老のCOは、非常に手際よく野外にライトをセッテイングしたり、テーブルや椅子を並べたり、ゴミを捨てるビニール袋を的確に配置したりしていた。あとは、お上の女性陣に食べていただくわけだが、「はんぺん最高」といきなり右ボディーを食らった以外は大変満足していただけたと信じております。
さてさて、ぼちぼち映像祭の足音が聞こえてきますよ。
耳栓しないでついてきておくれ。
下ジーン
2006年09月17日
イベントプログラム その1
今日の沖縄の日差しはなんだかやわらかい。台風直後のせいなのでしょうか。沖縄にも秋の気配を感じます。みなさんいかがおすごしでしょうか。スタッフ一同右往左往一歩進んで二歩下がり、三歩進むってな感じで映像祭開催に向けてがんばっています。
さてノミネート作品が無事選考され、スタッフは次のプログラムつくりへと移行しています。コンペ作品上映プログラムの他に映像祭ではみなさんに楽しんでいただけるような数々のイベントプログラムを準備中。今日はそのプログラムのひとつをご紹介したいと思います。
「ちゃぶ台シネマトーク」
前回ラフな形で行われたトークイベントに構成演出を加え、ちゃぶ台を囲んで県内の映像を語っちゃうというプログラム。トークイベントってちょっと仰々しいですよね。シンポジウムって書くと会議机に名前の垂れ幕つけて「ハの字型」のあのいつもの光景を思い出させるし、そんなものはもういいからもっとみんなに入りやすくしたい、ということで今回こんな案が浮上してまいりました。聴きにきてくれた観客にも距離感をなくしてもらうためにも居酒屋風セットを検討中!ゲストがお酒、おつまみ片手に県内映像事情を語るステージをイメージ。さてどうなる。
こうご期待。
スタッフOT
さてノミネート作品が無事選考され、スタッフは次のプログラムつくりへと移行しています。コンペ作品上映プログラムの他に映像祭ではみなさんに楽しんでいただけるような数々のイベントプログラムを準備中。今日はそのプログラムのひとつをご紹介したいと思います。
「ちゃぶ台シネマトーク」
前回ラフな形で行われたトークイベントに構成演出を加え、ちゃぶ台を囲んで県内の映像を語っちゃうというプログラム。トークイベントってちょっと仰々しいですよね。シンポジウムって書くと会議机に名前の垂れ幕つけて「ハの字型」のあのいつもの光景を思い出させるし、そんなものはもういいからもっとみんなに入りやすくしたい、ということで今回こんな案が浮上してまいりました。聴きにきてくれた観客にも距離感をなくしてもらうためにも居酒屋風セットを検討中!ゲストがお酒、おつまみ片手に県内映像事情を語るステージをイメージ。さてどうなる。
こうご期待。
スタッフOT
2006年09月09日
まちで見かけた“そりゃないぜ”第一弾
最近、歩こうかと。
いやなに、健康のためとかそういうのじゃなくて、地域探訪的な狙いでさ。
僕はウチナーンチュ・スターティングメンバーに憧れているので「近くても車で移動」「何はなくともクーラー命」「ゴーヤー大好き」「夜行性」は貫いています。でも普段、車で移動すると気付かないことも、歩くことで“発見!”なんてことが結構あって、最近はなるべく歩くようにしているのよ。
したらばこの間、とある電柱に議員さんのチラシが張られてて、あのおきまりのスマイルと公約がそのチラシにはデカデカとあるわけね。公約は確か「元気なまちに!」だったかな?でも、偶然とは罪深い。すぐ上に“バイアグラ販売します”と同じくらいの大きさのチラシがあるではないか!
脱帽ですよ。これは、笑いの神の仕業ですよ。
だって、遠目に見たら“上下2枚で1枚のポスター”にしか見えないもん。あれだけタイミング良く張られたら「うん、まち、元気になりそう・・・」と言いたくもなるさ。そこをグッと堪えて、その場を逃げるように後にして、次に向かったのは市場。
観光客で賑わっている那覇の市場に「塩」を買いにいったのよ。
したらば。僕を観光客と思った市場のおばさんが風営法違反じゃないかと思うくらい強引に試食やら「にーさん東京から来たの?絶対そうだはず!ねっ、これ食べてごらん。おいしいから!ね、おいしい?じゃあ、買うでしょ?ね?買ってよ」と売りつけようとするから最初は泳がせていた僕もここでビシッと言わねば、と思い「おばさん、俺ウチナーンチュだよ」というと、「はっしぇ、何で早く言わん!そうね。じゃあ、いいさ。あら、そこのあんた、どこから来たの?東京から来たの?」と、これまでの熱が嘘のように次なる獲物にアタックしているではありませんか。どうやら、沖縄に来る観光客はみんな「東京」からいらしていると思っているのかもしれませんな。何だかなあー、と阿藤快のように呟きながら、そして本来の目的を見失いそうになりながらその場を後にしました。
でもね、好きだよ。
したたかな沖縄、好きだよ。とてもじゃないが真似はできないけれどあの、意図していない笑いや、多少?強引な絡み、全てが愛らしい。
いやはや、どうやら僕はウチナーンチュのようだ。
下ジーン
いやなに、健康のためとかそういうのじゃなくて、地域探訪的な狙いでさ。
僕はウチナーンチュ・スターティングメンバーに憧れているので「近くても車で移動」「何はなくともクーラー命」「ゴーヤー大好き」「夜行性」は貫いています。でも普段、車で移動すると気付かないことも、歩くことで“発見!”なんてことが結構あって、最近はなるべく歩くようにしているのよ。
したらばこの間、とある電柱に議員さんのチラシが張られてて、あのおきまりのスマイルと公約がそのチラシにはデカデカとあるわけね。公約は確か「元気なまちに!」だったかな?でも、偶然とは罪深い。すぐ上に“バイアグラ販売します”と同じくらいの大きさのチラシがあるではないか!
脱帽ですよ。これは、笑いの神の仕業ですよ。
だって、遠目に見たら“上下2枚で1枚のポスター”にしか見えないもん。あれだけタイミング良く張られたら「うん、まち、元気になりそう・・・」と言いたくもなるさ。そこをグッと堪えて、その場を逃げるように後にして、次に向かったのは市場。
観光客で賑わっている那覇の市場に「塩」を買いにいったのよ。
したらば。僕を観光客と思った市場のおばさんが風営法違反じゃないかと思うくらい強引に試食やら「にーさん東京から来たの?絶対そうだはず!ねっ、これ食べてごらん。おいしいから!ね、おいしい?じゃあ、買うでしょ?ね?買ってよ」と売りつけようとするから最初は泳がせていた僕もここでビシッと言わねば、と思い「おばさん、俺ウチナーンチュだよ」というと、「はっしぇ、何で早く言わん!そうね。じゃあ、いいさ。あら、そこのあんた、どこから来たの?東京から来たの?」と、これまでの熱が嘘のように次なる獲物にアタックしているではありませんか。どうやら、沖縄に来る観光客はみんな「東京」からいらしていると思っているのかもしれませんな。何だかなあー、と阿藤快のように呟きながら、そして本来の目的を見失いそうになりながらその場を後にしました。
でもね、好きだよ。
したたかな沖縄、好きだよ。とてもじゃないが真似はできないけれどあの、意図していない笑いや、多少?強引な絡み、全てが愛らしい。
いやはや、どうやら僕はウチナーンチュのようだ。
下ジーン
2006年09月07日
ウチナァの文化・ゲージュツということについて・・・。
はじめまして、OMPF2006実行委員とは名ばかりになりつつある、
CodeName=KAMAちゃんです。(よくオカマ?とかクマ?とか言われるけどK・A・M・A(かま)ちゃんデス。苗字が鎌倉だから。KABAちゃんとも違いますよ。)
はてさて、まず本題に入る前に内輪ネタですが、上記の「OMPF2006実行委員とは名ばかりになりつつある」について、この場を借りて、実行委員のメンバァに謝らせて下さい。
仕事を言い訳にはしたくないけどホントに忙しいぃノ!マジで!!
現在、肉体的にも、精神的にも追い詰められてます・・・。
だから、ミーチングに参加出来なくて、&ロクに連絡も出来なくてごめんねミンナ。
許してチョンマゲ!ダミ?おにがい!
すいません;取り乱してしまいました;;
さてさて、本題の「ウチナァの文化・ゲージュツということについて」ですが、自分はモノを創る側の人間ではなく、どちらかというと(どちらかと言わないまでも)観る側の人間です。だから、どうしても何かについて論じるときは、批評家になるのよね。でも、自分は何もやってないくせにモノゴトをあーだこーだ批判・批判する人って大っ嫌いっつう矛盾した考えも持ってます。ま、人間は矛盾を抱えていることが健全だとも言いますが・・・。
あ、なんか書いてて意味分からんくなってきた(′А`;
え〜っと、書きたかったのはデスね。
ワタクシ、最近、本を読んでます(実際には、忙しくなる前まで読んでいて、現在は読みかけのまま埃をかぶりつつある。)。本の名前は「沖縄文化論」、作者「岡本太郎」、1972年に書かれたそうです(自分はまだ産まれてませんねぇ)。読みかけの為、このあとどんなオチに着地するのか、はたまたそのまま舞い上がるのかは分かりませんが、この本に興味深い趣旨の内容がありまして、今日はそれを伝えたく筆をとった(キーボードを叩いた)っつう訳です。
その伝えたい内容を抜粋すると大変なボリュームになる為、自分なりにまとめて伝えたいと思います。
太郎氏は、当事、沖縄に根付く文化を見に来たそうです。彼は「沖縄にもっと具体的な文化遺産、芸術品というようなものを、漠然と期待していた」のですが、琉球王朝に関わる様々な建造物・遺跡、織物・焼き物などなど、一通り見て思ったことは、「印象が希薄だ」、「つきあげてくるものが何もない」。
L・O・V・E沖縄の人ならここまで聞いて「はァ分かってないな・・・。」と両掌を上に向けて肩の高さに上げてみたり、「なんだとっ!」とコブシを挙げて憤ってみたりするのでしょうが、太郎氏はこうも言っています。
・私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない———といって差支えない、御嶽(うたき)だった。
・とかく文化というと高度な成果を期待してしまいがちである。そしてそれらの凄みのある美観というものは富と力にものをいわせ、美と権威を誇示したものである。それは文字通り虚飾である。しかし、そこには生活から切り離された凄みがある。非人間的ともいえる誇らかな相貌に、逆に人間の深い、激しい本質が現出する。
・しかし、沖縄にはそれとは真逆のぎりぎりの手段で生きる生活者の凄み、美しさがある。生活の素肌の感動がある。
と。
そして、その後沖縄の唄や踊りを上げ、日本舞踊などと比較しつつ、「沖縄の唄や踊りは生きている。生命が息づいている。」といったことを仰っているのです。
これらの言葉はもう30年以上も前の言葉ですから、今の沖縄にはその当時の生きている、ナマな文化・ゲージュツはもう残っていないのかもしれません。しかし、文化というものゲージュツとうものは、残す為にあるんじゃなくて、残るからこそ「生きている」と感じるのだと思います。
今、自分が関わる沖縄映像祭は、沖縄から発信する新しい生きた文化・ゲージュツとして、沖縄から産まれる映像というものを日本に世界に新しく認識させ、根付かせるための試みだと思っています。だから、もっとたくさんの人に認識されると良いなと思っていますし、認識される『価値』のあるものだとも思っています。
なんだか、結局自分が住む沖縄を、そして自分たちの映像祭を熱く語りつつ、何気にたたえる様な文章になってしまいました。
でもそれでいーんです!
『沖縄映像祭』とかけて
『沖縄を賛美するイベント』と解く
その心は
『沖縄エイゾー(良いぞー)祭』
お後が宜しいようで(宜しくないかも知れませんが・・・;)
CodeName=KAMAちゃんです。(よくオカマ?とかクマ?とか言われるけどK・A・M・A(かま)ちゃんデス。苗字が鎌倉だから。KABAちゃんとも違いますよ。)
はてさて、まず本題に入る前に内輪ネタですが、上記の「OMPF2006実行委員とは名ばかりになりつつある」について、この場を借りて、実行委員のメンバァに謝らせて下さい。
仕事を言い訳にはしたくないけどホントに忙しいぃノ!マジで!!
現在、肉体的にも、精神的にも追い詰められてます・・・。
だから、ミーチングに参加出来なくて、&ロクに連絡も出来なくてごめんねミンナ。
許してチョンマゲ!ダミ?おにがい!
すいません;取り乱してしまいました;;
さてさて、本題の「ウチナァの文化・ゲージュツということについて」ですが、自分はモノを創る側の人間ではなく、どちらかというと(どちらかと言わないまでも)観る側の人間です。だから、どうしても何かについて論じるときは、批評家になるのよね。でも、自分は何もやってないくせにモノゴトをあーだこーだ批判・批判する人って大っ嫌いっつう矛盾した考えも持ってます。ま、人間は矛盾を抱えていることが健全だとも言いますが・・・。
あ、なんか書いてて意味分からんくなってきた(′А`;
え〜っと、書きたかったのはデスね。
ワタクシ、最近、本を読んでます(実際には、忙しくなる前まで読んでいて、現在は読みかけのまま埃をかぶりつつある。)。本の名前は「沖縄文化論」、作者「岡本太郎」、1972年に書かれたそうです(自分はまだ産まれてませんねぇ)。読みかけの為、このあとどんなオチに着地するのか、はたまたそのまま舞い上がるのかは分かりませんが、この本に興味深い趣旨の内容がありまして、今日はそれを伝えたく筆をとった(キーボードを叩いた)っつう訳です。
その伝えたい内容を抜粋すると大変なボリュームになる為、自分なりにまとめて伝えたいと思います。
太郎氏は、当事、沖縄に根付く文化を見に来たそうです。彼は「沖縄にもっと具体的な文化遺産、芸術品というようなものを、漠然と期待していた」のですが、琉球王朝に関わる様々な建造物・遺跡、織物・焼き物などなど、一通り見て思ったことは、「印象が希薄だ」、「つきあげてくるものが何もない」。
L・O・V・E沖縄の人ならここまで聞いて「はァ分かってないな・・・。」と両掌を上に向けて肩の高さに上げてみたり、「なんだとっ!」とコブシを挙げて憤ってみたりするのでしょうが、太郎氏はこうも言っています。
・私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない———といって差支えない、御嶽(うたき)だった。
・とかく文化というと高度な成果を期待してしまいがちである。そしてそれらの凄みのある美観というものは富と力にものをいわせ、美と権威を誇示したものである。それは文字通り虚飾である。しかし、そこには生活から切り離された凄みがある。非人間的ともいえる誇らかな相貌に、逆に人間の深い、激しい本質が現出する。
・しかし、沖縄にはそれとは真逆のぎりぎりの手段で生きる生活者の凄み、美しさがある。生活の素肌の感動がある。
と。
そして、その後沖縄の唄や踊りを上げ、日本舞踊などと比較しつつ、「沖縄の唄や踊りは生きている。生命が息づいている。」といったことを仰っているのです。
これらの言葉はもう30年以上も前の言葉ですから、今の沖縄にはその当時の生きている、ナマな文化・ゲージュツはもう残っていないのかもしれません。しかし、文化というものゲージュツとうものは、残す為にあるんじゃなくて、残るからこそ「生きている」と感じるのだと思います。
今、自分が関わる沖縄映像祭は、沖縄から発信する新しい生きた文化・ゲージュツとして、沖縄から産まれる映像というものを日本に世界に新しく認識させ、根付かせるための試みだと思っています。だから、もっとたくさんの人に認識されると良いなと思っていますし、認識される『価値』のあるものだとも思っています。
なんだか、結局自分が住む沖縄を、そして自分たちの映像祭を熱く語りつつ、何気にたたえる様な文章になってしまいました。
でもそれでいーんです!
『沖縄映像祭』とかけて
『沖縄を賛美するイベント』と解く
その心は
『沖縄エイゾー(良いぞー)祭』
お後が宜しいようで(宜しくないかも知れませんが・・・;)



日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!